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フェアリー バラクーダ (''Fairey Barracuda'') はフェアリー・アビエーション社で生産され、イギリス海軍の航空隊 (FAA, Fleet Air Arm) で運用された艦上雷撃機である。複葉の雷撃機フェアリー アルバコアと交代する艦上雷撃機として計画された。エンジンの適合に手間取り、主力の量産型Mk. IIが完成するのに約1年半かかってしまい、旧式のフェアリー ソードフィッシュとの交代も遅れた。 == 開発経緯 == 1937年に航空省から単葉雷撃機を求める仕様S.24/37に対して、6つの提案があった。このうち、フェアリーとスーパーマリンの設計案が選定され、それぞれに2機の試作機が注文された。フェアリーの試作機は、1940年12月7日に初飛行した。 バラクーダは、全金属製構造の卵型胴体に高翼配置の翼をもつ単葉機であった。主脚は油圧作動の格納式で、車輪は主翼下に格納されたが、支柱は胴体側に格納された。尾輪は露出し、アレスター・フックより後部へ設置された。連接したタンデムの座席に3名の搭乗員を配した。最前席は後方へスライドするキャノピーで、後部の2名は側方へ開くヒンジのキャノピーであった。機体下方の視界を得るため、ナビゲーター席には窓ガラスを設けられた。主翼には、エアブレーキとしてダブル・ヤングマンフラップを備えていた。試作機の尾翼は従来の単尾翼であったが、試験飛行でT字尾翼のような形状になるスタビライザーを取り付けることで、より高い安定性が得られることが確認され、それは2機目の試作機で導入された。 当初、バラクーダはエグゼエンジンを使用することを予定していた。試作機の試験を遅延させたことから、試作機にはマーリン 30エンジン (1,260 hp/940 kW) を搭載して初飛行した。しかし、設計後に加えられた追加装備の重量を生み、結果として量産型バラクーダ Mk. Iは出力不足となった。Mk. Iは、フェアリーとウェストランドで30機のみ製造され、試験と訓練に使われた。 より高出力なマーリン 32 (1,640 hp/1,225 kW) を搭載したバラクーダ Mk. IIは、1,688機が量産された。フェアリーのストックポート工場とリングウェイ工場で675機、ブラックバーン・エアクラフトで700機、ボールトンポールで300機、ウェストランド・エアクラフトで13機が製造された。Mk. IIは、パイロットから強力なフラップを高評価され、良好な視界を確保できることも空母着艦を容易にさせた。 Mk. IIは、翼上に八木アンテナを搭載し、メートル波長ASVレーダーも搭載した。対潜任務向けのMk. IIIは、後部胴体にASVレーダーを格納した。Mk. IIIは、フェアリーで406機、ボールトンポールで392機が生産された。 Mk. IVは製図も残っていないが、Mk. Vではマーリンエンジンをグリフォンエンジンへ換装された。グリフォンへの換装により出力とトルクの増加は、様々な航空力学的な変更を必要とした。垂直尾翼は大型化され、翼面積を増して翼端は楕円形状にされた。1944年11月16日に初飛行したが、ヨーロッパ戦線の終結までに製造されたのは37機であった。バラクーダは全型で合計2,607機が生産された。 バラクーダは、不可解な事故が高い確率で発生した。それらはベテランのパイロットでも起きた。1945年に油圧システムの液漏れが事故の起因であると判明した。この液漏れがエーテルを含み、パイロットの顔面に噴出すると意識を失い、事故に直結した。ほとんど酸素マスクを備えておらず、3,000メートル以下では必要もなかったことから滅多に付けていなかった。1945年5月末に海軍省から改善の要求が出された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェアリー バラクーダ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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